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闘牛について思うこと

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スペインの伝統国技としても知られる闘牛ですが、近年では議論のテーマとして話題に上がることの方が多くなっています。スペインが大好きな私にとっても受け入れがたい文化のひとつで、私の周辺でも肯定的な意見はあまりありません。主に若い世代から批判的な意見を持たれることが多いように思います。


映像資料などで闘牛をみてみると、次々に牛の背中に太い槍を刺していく姿はとても痛ましく、刺されるたびに歓声をあげる観客の気持ちを理解するのは難しいです。

確かに世の中には精肉に携わる仕事がありますし、闘牛も生きるためのひとつの方法、稼ぐためのひとつのやり方と言われれば実際にビジネスとして成り立っているのだからそういうことにもなるのかもしれません。でも闘牛場の中で人々がサディスティックをむき出しにしてひとつの命が絶えていく様子をワクワクしながら見ているのは、シンプルに言って悪趣味です。
毎日いただいている命の重みやありがたみを知るために闘牛を見に行くという考え方は日本人的な考え方なんですかね、わかりませんがあまり見かけません。そう言っている人がいたら興味深いなあと思います。



先週末放送されたスペインの動物番組での取り上げられ方はとても印象的で、文化と動物愛護精神の間で大きな葛藤があるのだなあと感じる作りになっていました。
普段は密猟グループをひたすら批判したりしている番組なので、もっと反対的な発言がたくさん放送されるものだと思って出演者のコメントに注目していましたが、何世紀にも渡って受け継がれた伝統芸能を前にそんなに攻撃的になれない雰囲気がありました。

動物が大好きな出演者が
「雄牛は、命の危機から逃げない唯一の動物。他の動物は自分を殺しに来ている相手だとわかると逃げ場を探すけど、闘牛は死ぬその瞬間まで戦い続ける」
とコメントしていたのが脳裏に焼きついていますが、そんな美談みたいな表現をするとは思っていなかったので驚きでした。

また、殺された闘牛がキラキラに着飾ってたくさんの鈴をつけた馬たちによって引きずられて退場させられていくのは、まだ道徳観が違った時代に作られた昔話に感じるような「遠い世界のもの」感がすごくて、気持ちが悪いです。



そんな闘牛ですが近年批判的な意見が多いとはいえ、一年に一度マドリードで行われるお祭りで、34日間5000人の観客で闘牛場が毎日満員になるとのことなので、未だにファン層が厚いことも伺えます。
実際、闘牛士の衣装はとてもかっこよく、普通の洋服とは違った作法で着るロマン的なものはあると思います。闘牛士になるための肉体的な努力と訓練は想像もつかないほどですが、何よりも精神的な訓練に関しては比較できるものがなく、未知の世界であることは言うまでもありません。

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1970年以降6人の闘牛士が闘牛で亡くなっているらしく、それが多いか少ないかは人によって捉え方が違ってくると思いますが、人間の死も目の当たりにしてしまう観客側のリスクも少なからずあるということです。
人間の死の瞬間を見た人の人生はそのあと変わってくるだろうし、それこそ死ぬまで忘れられない衝撃的な光景になることは間違いありません。


こうやっていろんな観点から考えるほど、複雑な問題と議論の要素を抱える闘牛なので、他の人がどんな考えを持っているのかも気になります。
特に闘牛ファンの方々、もしくはその考え方を知っている方がいたらぜひ教えていただきたいです。